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15歳からの夢を、15 年かけて叶えた。大学院留学を経て就活、国際協力業界への狭き門をくぐる。<インタビュー前編>

更新日:2022.3.25

今回のインタビュイー: 石原加奈子さん

今回のインタビュイー: 石原加奈子

外資系生命保険会社に5年間勤めた後、イギリスのイーストアングリア大学大学院に留学。教育開発学を専攻し、新興国の教育におけるジェンダー問題や女子教育について学ぶ。帰国後に転職し、現在の職位はプロジェクト・コンサルタント。主に国際協力機構(JICA)の教育分野の案件形成調査、セクター調査等の各種調査業務のほか、技術協力プロジェクトでの技術指導及び、プロジェクトマネジメントに関わる業務に従事している。

今回の転職経験者インタビューに登場してくださるのは、5年間の社会人経験を経てイギリスのノーリッチに大学院留学をされ、現在開発カウンセラーとして活躍中の石原加奈子さん(以下、石原さん)です。

15歳からの夢を、15 年かけて叶えた。国際協力業界で働くということ

開発カウンセラーという職業をご存知でしょうか。

近年、東南アジアを旅行したり、ボランティア活動やインターンのために途上国に渡航したりする若者は少なくありません。その中には「国際協力」「国際開発」「貧困」などのキーワードに興味を持つ人も多いのではないでしょうか。

石原さんは、中学3年生のときに観たテレビ番組をきっかけに国際協力の仕事を志すようになりました。きっかけとなったドキュメンタリー番組は、国際NGOがモザンビークやカンボジアで行なっている地雷除去活動や歴史的背景についてまとめたものでした。石原さんはJICA(国際協力機構)や国際NGOの活動に興味を持ち、高校生の頃から国際協力ボランティアに従事していたそうです。

しかし新卒で入社することになったのは外資の保険会社でした。5年間勤めたあと、28歳の時にイギリスの大学院で教育開発学を学び修士号を取得。夢の国際協力の舞台で一歩を踏み出したのは、29歳のときでした。

現在は教育開発部プロジェクト·カウンセラーとして、年間6~7ヶ月は海外出張と文字通り世界を飛び回る生活を送っています。今回のインタビューでは、前編で開発カウンセラーと石原さんの経歴·目標について伺い、後編では国際協力業界への転職活動について具体的なお話を伺います。

開発カウンセラーとは?

今の会社では、開発カウンセラーとして新興国の教育関係のお仕事をされているということですが、開発カウンセラー会社に教育開発部というのは、普通にあるものですか。 

“私は教育が専門なので教育をやっている会社に入ったんですが、カウンセラーによって得意分野は様々です。インフラ系とか経済開発とか水資源とか環境保全、医療関係とかそういうのをやってる会社もあります。うちは、教育もあればインフラもありますし、経済開発もという感じです。”

国際協力業界で働くにあたり、考えられる選択肢は大きく分けて4つ。

  • JICA(国際協力機構)などの政府系組織
  • NGO(非政府組織)/NPO(非営利組織)
  • JICAの案件を受注する民間企業(開発カウンセラーなど)
  • その他国際組織(国連など)や研究機関(大学など)

開発カウンセラーといわれる会社は、日本では一般的にJICAつまり日本の政府系組織からの海外向け案件を受注している会社がほとんどだそう。しかし会社によっては、アジア開発銀行や世界銀行、現地政府など海外の組織からの案件を受注する場合や、国内で文科省や環境省などから、ある分野に特化した地方公共団体向けの改善プロジェクトなどを受注している会社もあります。

“今の仕事で1番大変なことは、海外出張が多いこと。最近結婚もしたので、仕事と家庭とのバランスを取るのが大変。”

 開発カウンセラーとして石原さんが海外に出張する期間は、年間で6~7ヶ月。案件やビザの関係にもよりますが、石原さんの場合は1回の出張が3~4週間にも及び、その間はホテル暮らし。家族や周囲のサポートを得て、バランスを保っています。

職場の女性の中には、旦那さんが主夫の人がいたり、ご両親に子どもの世話を頼んだりしている家庭もあるそうです。「ワークライフバランス」は、家庭を持ちながら仕事に情熱を注ぐ開発業界の人々と、その家族にとってずっとついて回る問題かもしれません。

大学院留学を経て、夢だった業界へ。

新卒では国際協力業界での職を得ることができなかった石原さん。いつか転職を、とリサーチを進めていくにあたって気がついたのは、国際協力業界ではほとんどの場合、修士号と英語力が求められているということでした。彼女が転職者としてより広い選択肢を意識したとき、修士号の取得は避けて通れない道として見えてきました。

なぜこの業界に転職するには修士が必要なんですか。

“上記の4つの中でも、比較的門戸が広そうなのが開発カウンセラーと、国連など海外の国際組織だと思っています(ただし門戸の広さは、就職しやすさには比例しません)。

いずれにしても、相手国の政府や役人と仕事をするので、肩書きがないとなめられてしまうというのもあって、みんな修士以上は絶対持っています。相手政府やカウンターパートからすると、ドクターを持ってるとなお強い、尊敬されるという対応になります。

そういう理由もあって、開発カウンセラーがJICAの案件を受注するとき、メンバーの要件に修士号が必ず入ってきてしまうんです。それもあって、開発コンサルの会社に入ろうと思ったら修士がないと入れない、という仕組みがあるので、だったらもう取った方がいいかなと。”

石原さんは、留学準備期間を含めた5年間の社会人経験を経て、28歳のときイギリスのイーストアングリア大学に大学院留学を果たしました。世界中に植民地を持ち宗主国として発展したイギリスの大学は開発学分野に強く、石原さんはエージェントのアドバイスに基づいていくつかの大学に出願。イーストアングリア大学から合格通知を受け取り、1年間教育開発学を学び、無事修士号を取得されました。

大学院留学は、この時期に行ってよかったなと思うこと、または大学か高校で留学をしておけばよかったなと思うことはありましたか。

“私が留学した理由の一つが英語力の向上だったので、英語力の向上という意味では早ければ早いほどよかったとは思います。高校の方が吸収も早いですし。大学でいけたら時間は結構自由に使えるので。でももう一つ留学した目的は、転職してこの業界に入ることだったので、そういう意味では遅い方が良かったとは思います。”

石原さんがこう語るのも、即戦力が求められる国際協力業界では、新入社員として企業に入って受けられるような研修が用意されていないため。社会人としてのビジネスマナー、メールや電話の応対などある程度経験がないとわからないことも多いのではないでしょうか。

“私は外資の保険会社で5年4ヶ月働いてから辞めて行ったので、その間に蓄積されたものは今すごく活きています。その意味では、28歳での大学院留学は、年齢的にはちょうど良かったかなと思います。”

国際協力業界を目指す人は、多少の回り道が必要とされていても、忍耐強く今できることを積み重ねていくことが必要と言えそうです。

理由はわからない。でも、夢は変わらなかった。

30歳で、国際協力業界に転職を果たした石原さん。幼い頃からの夢が就職活動などを経て変わっていく人も多いなか、同じ夢を長く持ち続けた彼女。夢は変わらなかったのか、という率直な質問にも、「変わらなかったんですよね」と断言しました。

理由聞かれるとわからないんですけど。中学生くらいの頃から、ずっと自分の興味のある分野が国際協力でした。

昨今、帰国子女や留学経験者に憧れの職業を尋ねると、国連やJICAなど国際的な組織が挙がります。「就活を意識し始めてから」「なんとなく自分の力が活かせるんじゃないか」などがその理由ですが、結果として実際にそれらの分野に行き着く人は多くありません。夢が変わらないこと、変わること、どちらも素晴らしいことですが、同じ夢をずっと追い続けることというのは、簡単ではありません。

しかし目標がひとつだったからこそ、転職の際に抱えた不安は大きかったはずです。

“国際協力業界への就職は狭き門だと追われていたので、もし希望するどの会社からも内定が出なかったら、この業界に就職するために貯金を切り崩していったイギリス留学が無駄になるのではと思いました。

イギリスで取得した修士号が転職の際にツールの1つになったとすれば、実際の仕事の場面では、留学時代に培ったことはどのように活きているのでしょうか。

「留学経験がなければ、今の力は養われていない」

留学で身についた力で、仕事に活きていることって何かありますか。

“英語力が1番なんですよね。

日本にいると外国人の方と接する機会もあまりないので、例えばアメリカ人と喋るイギリス人と喋ると言ったら、ビクビクしちゃったりとか、過度な緊張しちゃったりとかあると思うんですけど、そういう壁は若干下がりました。

留学先もいろんな国から人が来ていて、いろんな文化の人たちがいたので、他の国や他の文化圏から来た人と抵抗なく接せられるようになりました。”

1年間の留学で、仕事に使えるほどの英語力をつけることは容易ではなかったはずですが、石原さんは、留学中に培った英語力が仕事で大いに活きていると言います。具体的には、英語での会話力と文書作成能力。大学院留学を経験していなければ養われていない力でした。

また、異文化への順応力や海外での生活力、様々な国の人たちと対等に接することができる力なども、評価されていると感じると石原さんは言います。

1年間でこう言い切れるほど英語力や精神的なタフさを身につけたと言えるのは、留学中の石原さんの絶え間ない努力と心がけがあったからに他なりません。

日本人以外の人たちと抵抗なく接することができるようになったというのは、自然にそうなったのか、何かきっかけがあったのでしょうか?

“壁がなくなっていったことと自分の英語力は完全に比例しているんですよね。とにかく英語を喋れるようになって帰りたかったので、よく言うことですけど、日本人と距離を置いて、英語で話す時間を長く持つように努力していました

私は寮に住んでいたので、キッチンをシェアしているフラットメイトと時間を過ごしたり、市民団体がやっている活動に積極的に参加したりしていました。英語が堪能なメキシコ人のクラスメイトとすごく仲良くしていたので、一緒に旅行に行ったりとか。

とにかく英語でコミュニケーションをする時間を持てるように工夫をしたので、それと比例して壁も小さくなったと思います。”

仕事でも、日本の常識が全く通用しない国に行き、現地の人をチームに入れて仕事をしたり、チームの相手がたも現地の人であったりすることで、「何にしてもうまくいかない」そうです。しかしそのうまくいかないことを、仕事としては軌道に乗せていかなくてはいけない。妥協点を見つけていかなければいけない。

そういったことに関して、「留学をすることによってある程度キャパシティが広がるのでは」というインタビュアーの見解にも同意する石原さん。

“留学を終えて1つ変わったのは、すごくいろんなことに妥協できるようになったっていうのも関連してると思います。いろんな国の人がいていろんな文化があって、日本の常識が全然通用しなくてっていうのは、順応してきたのは、妥協してきたからだと思うので、いい意味で細かいことにこだわらなくなったというか。

必要なものだけ仕事するとか、効率よくやるためには妥協ってある程度必要じゃないですか。そういうことの区別ができるようになった気がします。”

母国で人や文化から守られている状況だと、どうしても自分の思い通りになってしまうことが多い。そこから海外に出てサバイブしていかなくてはいけないときに、どうにもならないことを身一つで乗り越えていかなくてはいけなかったはずです。

留学生が多い学校では、様々な国や文化圏から来た人たちと一緒に授業のプロジェクトをしなくてはいけなかったり、掃除や食事などの生活面で、他の文化では悪いことになっていることということをわかってもらったり、逆に相手を理解しようとしたりして、ビジネスパーソンとして価値のあることを自然と経験しているはずです。

転職の際にアピールするべき長所というのは、自分の良いところではなく、人よりも優っていること。海外経験をしたことのある人は、そうして身につけたご自身の能力に気がついていないことも少なくありません

留学経験者として、英語だけではないそれらの能力を部分をどうアピールできるか。

せっかくの経験があるのに、英語を使う機会が減っている。より多国籍な環境で自分を試してみたい。国際協力業界に興味がある。そんな方は、ぜひ私たちのカウンセリングを1度受けてみてください。