日本の「生きづらさ」を転職の「原動力」に (帰国子女 森山まりこさんのストーリー)
森山まりこさん
帯同子女として日本とドイツを行き来しながら幼少期を過ごす。その後、日本の大学を卒業し、大手商社に就職。日系企業の社風に悩んだ末に外資系企業への転職を決意。 3度の転職を経験し、金融やコンサルティング業界など、さまざまな業界でのキャリアアップに成功している。
留学経験者専門の転職エージェント『Beyond Border』の転職経験者のインタビュー。
今回インタビューにご協力してくださったのは、
現在カナダ在住の森山まりこさん(以下、森山さん)です。
日本の大学を卒業後、大手商社に就職し、転職を決意。
帰国子女としての経験や価値観を大切にしてきた森山さん。
BeyondBorderの読者の中には、
「日系企業と外資系企業のどちらが自分に合っているか分からない…」
「海外で得た価値観が生きるような職場って日本にあるの?」
「帰国子女としての自分が輝く仕事を日本で探したい」
そんな悩みや疑問を抱えている方も多くいらっしゃると思います。
今回の記事では、森山さんの体験談やアドバイスとともに
・日系企業と外資系企業の社風の違い
・ キャリア面における帰国子女の悩みとその解決策
- 帰国子女だからこそ成功する転職活動のポイント
に焦点を当ててご紹介していきたいと思います。
自分はドイツ人?アイデンティティに悩んだ幼少期
Q.森山さん本日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
Q.まず、森山さんの海外経験について詳しく教えてもらえるでしょうか?
父親の海外赴任に帯同し、
3歳から10歳までと16歳から19歳までをドイツで過ごしました。
Q.10歳から16歳の間は、日本に帰国していたんですね。
はい。父親に帰国辞令が出されたため、小学6年生の時に日本に帰国し、日本の小学校に転入しました。日本の中学校を卒業して、ちょうど高校に入学した時に、再び父親に転勤辞令が出され、ドイツのインターナショナルスクールへ転入しました。
Q.ドイツでの生活で何か苦労したことはありましたか?
ドイツには、物心がつく前に引っ越したので、言葉の苦労もなく、たくさんの友だちに恵まれました。2度目の帯同で、ドイツのインターナショナルスクールに転入した際には、英語の勉強に少し苦労しましたが、英語を習得したおかげで、その後の人生の選択肢も広がりました。
Q.日本の生活の方が苦労は多かったということでしょうか?
そうですね。
日本での生活は、カルチャー・ショックの連続でしたね…。
物心がついた時からドイツで暮らしていたので、当時は自分のことを日本人ではなく、ドイツ人だと認識していました。
小学6年生で帰国した時は、インターネットもない時代だったので、日本のことをほとんど何も知らず、言葉もドイツ語を第一言語としていたと思います。
Q.日本のどんなところにカルチャー・ショックを受けましたか?
ドイツの学校とは全てが異なり、疑問に思うことがたくさんありました。
例えば、なぜ朝礼があるのか、なぜ一列に並ぶのか、なぜ名前ではなく名字で呼ぶのか、
なぜ給食の準備や掃除を自分たちでするのか、何もかもが不思議に思えました。
Q.日本人のクラスメートや日本の学校生活にどのようになじんだのですか?
とにかく周りをよく見て溶け込むように努力していました。
自分の置かれた場所に慣れていくしかないと思っていたので、自分ではどうにもできないことも時間が解決するだろうと考えていました。
自分のことをドイツ人だと認識していることを表に出すことは日本では良くないと子供心に察していたので、わからないこともわかっているふりをしていたことも時々あったと思います。
Q.授業や学校生活の中でいじめられることはありませんでしたか?
親切な担任の先生やクラスメートのおかげで、いじめられたりすることはありませんでした。
日本の授業はドイツよりも進んでいて、特に算数などの授業はついていくことが大変でしたが、担任の先生が居残って分からないところを教えてくれたりしていました。
クラスメートが話している日常の会話、はやっている漫画やテレビの固有名詞もまったく分かりませんでしたが、それでも仲良くしてくれる友だちがいたので幸運でした。
Q.高校卒業後に日本に帰国したのはお父様の仕事の都合ですか?
いいえ。
私だけが日本の大学に進学するために帰国し、両親が帰国する大学3年生までは祖母の家で過ごしていました。
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→ 大手商社に入社した森山さんを待っていたのは、日系企業のしきたり