恋愛も転職も「タイミング」が大切!? ワーママ帰国子女 斎藤直子さんのストーリー
斎藤直子さん
6歳から16歳までの6年間をアメリカで過ごした帰国子女。日本の大学を卒業し、サントリーの営業企画部に入社。国際的な場で英語力を生かしたいという想いから、アマゾンジャパンや武田製薬など、数々の企業に転職。Executive Assistant(EA)としての輝かしい経験を重ねながら、結婚・出産・育児も経験しているキャリアウーマン。
留学経験者専門の転職エージェント『Beyond Border』の転職経験者インタビュー。
今回インタビューにご協力してくださったのは、帰国子女でもあり、ワーキングマザーでもある斎藤直子さん(以下、斎藤さん)です!
斎藤さんは、結婚・出産・育児を経験し、外資系企業・日本企業、合わせて3社の転職も経験しているパワフルウーマンでもあります。
妻として、母として、自分の人生に合った無理のないワークスタイルにこだわりを持ちながら、キャリアを選択してきた斎藤さん。
BeyondBorderの読者の中には、
「出産後のキャリアをどう考えればいいか分からない」
「家庭も仕事を妥協したくない…」
「自分に無理のないワークスタイルを選びたい」
など、女性特有のライフステージの変化に伴い、キャリア面での不安を持つ女性も多いと思います。
そんな方にお届けしたいのが、今回の斎藤さんのストーリー。
斎藤さんの経験から、
・「自分らしさ」を忘れないキャリア選択
- 女性ならではのワークスタイルの選び方
- 家庭も仕事も大切するワーキングママの転職
に焦点を当ててご紹介していきたいと思います。
日本からアメリカ、そして再び日本へ
Q.斎藤さん本日は宜しくお願い致します。
よろしくお願いします!
Q.まず、斎藤さんの海外経験について詳しく教えてもらえないでしょうか?
父の海外赴任の帯同として、6歳から16歳までをアメリカで過ごしました。
高校2年生で日本の高校に転入し、そのまま日本の大学に進学しました。
Q.つまり5歳までは日本で暮らしていたわけですよね。アメリカの生活に抵抗はありませんでしたか?
母によると、初日はとても緊張していて、決して母の手を離さなかったそうです。
しかし、すぐに現地のクラスメイトと仲良く手を繋いで帰宅してきたそうで、我ながら順応性に富んだ子どもだったのだなぁと思いました。
Q.その後、日本の高校に転入することになるわけですが、何か苦労したことはありましたか?
同じような環境で育った帰国子女の多い高校だったので、学校生活はとても楽しかったです。日本語のキャッチアップと英語のブラッシュアップをすることもできました。
もちろん日本とアメリカ、文化の違いは事あるごとに感じていましたが、それを指摘されることもなく、のびのびとした高校生活を送れました。
女性のキャリアは短い…いまが転職の時
Q.斎藤さんのキャリアの始まりは日本企業だったんですね。
そうですね。食品関係の仕事に就きたいと考えていたので、
大学卒業後はサントリーに入社しました。
Q.なぜサントリーを選んだのですか?
大学時代にグランドホッケー部に所属していたのですが、サントリーの体育会精神をとても大切にする部分、とにかくチャレンジ精神旺盛な人が集まっている会社の雰囲気に惹かれました。
Q.サントリーではどんな仕事をしていたんですか?
関東エリアの営業企画部に所属していました。新入社員にも関わらず、担当エリアの売上や販売促進管理など、多くの経験を積むことができた2年間でした。
Q.その後、サントリーを辞めて、初の転職を経験するわけですが、前後にどんな心境があったんですか?
サントリーでは英語を使う機会が一切ありませんでした。10年近く海外で生活していたので、もっと国際的な環境で働きたいという強い想いがありました。
自分の強みでもある「英語」をツールとして、積極的にチャレンジできる環境を模索していました。英語だけではなく、元々インターナショナルな環境で育ってきたので、変化に富む環境を求めていたのかもしれません。
Q>なるほど、新卒で入社した会社を転職することに不安はありませんでしたか?
実は、サントリーでそのまま数年経験を積めば、国際関係の仕事に就けることも分かっていたのですが、
「女性のキャリアを考えると、数年でも十分長い」
そう思って、
「もういましかない!」と思い、転職を決断しました。
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→ 思い切って転職を決意した斎藤さんが選んだ次の職業とは?