世界中の子どもたちを笑顔に!大手証券会社から国際協力NGO事務局長へ(小島美緒さんのストーリー)
「知識を力に」交換留学という選択
Q.過去にさかのぼって小島さんの学生時代やキャリアに焦点を当てていきたいと思います。
はい。
Q.大学ではどんな授業を取っていたんですか?
開発学など国際協力関係が多かったと思います。
交換留学先のカリフォルニア大学では開発学、平和心理学やESD(持続可能な環境教育)を中心に取っていました。
Q.交換留学にはいつ頃行かれたんですか?
大学3年生の時です。
10カ月間アメリカのカリフォルニア大学のサンタクルーズ校に通って、大学4年生で戻ってくるという感じです。
Q.交換留学を決めた理由は何だったんですか?
語学力を伸ばしたいことが1番でした。
Q.国際基督教大学も語学に力を入れていますよね?
そうなんですが、普段は日本語で暮らしていますし自分の英語力に満足できていなかったんです。
あとは自分が学んでいる分野の専門的な知識をもっと得たいとも考えていました。
学生時代に途上国に行く機会が多かったので「それらの経験値を理論に落とし込む機会」として留学を決めました。
「違う視点や世界を知る」あえて飛び込んだ金融業界
Q.新卒ではJPモルガン証券株式会社に入社されたようですが、いままでの話を聞いていると国際協力ではないことがとても意外です。
そうですよね。
Q.何か心変わりや狙いがあったんですか?
心変わりは特にありませんでした。
学生時代に国際協力やボランティア分野にどっぷりと携わっていたので、正反対のマクロな大きいお金の流れが見える場所で自分を試したいという考えと、実践的な語学力をもっと伸ばしたいと気持ちがありました。
Q.証券会社に勤務していた間は国際協力からは完全に離れていたんですか?
いいえ。
働きながらPLASのボランテイアスタッフとして週末に活動していました。
Q.JPモルガン証券株式会社の業務は国際協力に関連する部門だったりしたんでしょうか?
全く関係のない部門でしたね。日本国債のオペレーション部門を担当していました。取引先との決済までのさまざまな調整をする業務です。例えば額面と金額、利率が違いや間違いがないかの確認や調整、そんなイメージです。
Q.難しそうな業務ですね。最初からNGOへの転職を目指して証券会社で経験を積んでいたんでしょうか?
いま考えるとそうだったと思います。もともと証券会社には長く勤めようとは思っていませんでしたし当初の予定は3年〜5年くらいを考えていました。
働きながらPLASのボランティアを続けていくことで、アフリカでのエイズ孤児支援に本格的に携わりたいという気持ちがより強くなりました。
Q.それで入社3年目の時にNGOから声がかかったわけですね。
はい、そうです。
ケニアに事業展開するので事務局職員として一緒に働かないかという誘いを受けました。
転職を通して再認識した自分の「原点」
Q.NGO職員への転職に迷いはありませんでしたか?
あまりありませんでしたね。
団体の代表も学生時代から知っていたので「一緒にやろう」という感じで声をかけてもらって3カ月ぐらいで新しい職場に身を移しました。
Q.職場や周りの反応はどうでしたか?規模の大きな業務を担当されていたので、なかなか辞めづらい雰囲気だったのかなとも思いまして…。
外資系でキャリアチェンジする人は多かったので「生き方は1つじゃない」という考え方が浸透している職場でした。
なので、「もう少しいてほしい」「転職できてよかったね」というポジティブな声をいただくことが多かったです。
転職が多い外資系とはいえ、全く異なる業界への転職はすごくレアなケースだったと思います。
Q.外資系は雰囲気的にも転職しやすいというメリットもありますよね。そうすると転職はすべてスムーズに動いたんですね。
いいえ、実はそうでもなかったんです。
転職のタイミングで妊娠していて自分の気持ちに体が追いつかず切迫早産になってしまい数カ月NICUで過ごしました。
当時は子育てと仕事の両立に不安は感じていましたね。
Q.実際に子育てと仕事の両立はどうですか?
もちろん両立は大変ですが職場や家族のサポートのおかげでうまくやってこれています。
エイズ孤児を抱えるお母さんたちの気持ちを身近に感じながら活動できることもうれしく感じています。
Q.転職に後悔したことなどはありませんでしたか?
ありません。
この仕事をするために自分は生まれてきたんだと心から思っています。小規模のNGOですが1人1人のアイデアで支援先の方々の生活に変化を生み出せることに大きなやりがいを感じています。
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→自分で自分の可能性を諦めないで!小島さんが伝えたい女性の働き方